楽しさ優先主義

管理人キマグレが日々楽しく過ごすため、思ったこと感じたことを書き綴る日記です



私が初めて遊んだドラクエはナンバリング4の『ドラゴンクエストⅣ導かれし者たち』でした。

今回の記事はタイトルの通り、このドラゴンクエストⅣのエンディングが現実なのか、幻なのかについて私の思いを書いていきたいなと思います。



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今回は大人気漫画『スラムダンク』の陵南高校監督の田岡について、ちょっと私が思っているところを書いていきたいなと思います。


ネットでよくみる意見の中に
「安西先生はけがをして傷心の三井をフォローしなかった。安西先生がもっと三井に構っていたら、三井はバスケを辞めなかった」
「安西に対して田岡は魚住が辞めそうになった時もちゃんと対話して魚住を引き留めた。自分だったら安西よりも田岡に指導してもらいたい」
こんなのがあります。

で、こんな意見から「田岡は才能がない部員にもしっかり対話して一人一人のことを考えてくれる良い先生だ」みたいな意見が生まれるわけです。



田岡が良い先生?そんなことありえないですから(笑)









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突然ですが私キマグレは『ドラえもん』が大好きです。
特に大長編!

あのワクワク感は自分を子どもの頃へと導いてくれるタイムマシンといっていいでしょう。


2005年に声優が交代されてからもう10年以上が経ちました。
あの声優の交代がドラえもん史上で一番大きな変換点とされていますが、私はそうは思いません。

 


ドラえもんにとって、特に映画に関しての、最大のターニングポイントは作者の藤子・F・不二雄先生が亡くなってしまったことではないでしょうか。


 


F先生の作り出すストーリーは子ども向けでありながら、大人までをもその世界に引き込んでくれました。

実際、大人になった今でも、私はドラえもんの昔の映画に夢中になることがあります。
本当に子どものために作られた作品は大人が見ても面白いといういい例です。

 

 

逆に、今のドラえもんは子どものための作品という部分が欠落しているように思えます。(一見するとわかりやすいギャグやコミカルなシーンをいれてより子ども向けにしているようにみえますが、それが子供だましで終わってしまっている感があります)



特に子どものため、子ども目線の作品になってないと感じるのが、最近の映画で目に付く露骨な感動路線です。

子どもの頃を思い出してほしいのですが、感動したくてドラえもんを見ていたわけではないんです。少なくとも私はそうでした。

それよりも、ドラえもんと秘密道具を使って楽しそうなキャンプをしたり、ワクワクする冒険をしたりするシーンが見たかったのです。

もちろん、ピー助との別れなど感動する場面もあります。

でも、やっぱりメインはワクワクドキドキなんです。

映画を見て感動したいと思うのは、子どもより大人の感性ではないでしょうか。



 

映画といえば、新ドラえもんになってから頻繁に昔の作品のリメイクをやっています。

個人的にはあれもどうかなと思います。

親が昔見た作品を子どもと一緒に楽しめるようにという意図はわかります。
今の時代でも面白いストーリーは、F先生の才能を再認識させられます。

それでも、私はリメイクには反対です。




昔の作品を見る手段が全くないのであれば、リメイクもありだと思います。
だけど、今や昔の作品を買うのはネットで簡単にできますし、借りるにしてもレンタルビデオ店なんてそこかしこにあるわけですから。

昔の作品を子どもと一緒に楽しみたいのなら買うなり借りるなりすればいい話です。わざわざ作り直す必要はないように思います。


それに、最初の作品を作った時点でその作品は完成していると思うんです。

改めて手を入れる必要性を感じません。つまり、ストーリーを変更する必要がないのです。

だからといって、そのまま全く同じ話でリメイクしてもリメイクの意味はありません。結局、内容を変更するにしてもそこには違和感が残るわけで…


あと、本当に個人的な意見なんですが、リメイク作品がリメイク前の作品を上回っても下回っても複雑な気分にしかならないんですよね。
なんだか前の作品を否定されたような気分になってしまうんですよ。これは私だけかもしれませんね

 



今のドラえもんには今のドラえもんの良さがあると思います。リメイクに頼らないでも面白い作品を作ることはできるはずです。
ぜひ、後世に残る昔のドラえもんに負けないドラえもんを作ってほしいなと思います。

 

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昨日の『戦え!スポーツ内閣』(MBSテレビ)に元中日ドラゴンズ監督の落合博満氏がゲスト出演されました。
番組の中で、司会の武井壮さんから「落合さんが選ぶプロ野球の歴代のベストナインは誰になるんですか?」と訊かれた落合さんが答えたのが次の方達です。




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一時期、フリーゲームにハマってました。面白そうなものを片っ端からダウンロードしていきました。

その数あるフリーゲームの中でも個人的に一番面白かったのが『ざくざくアクターズ』通称『ざくアク』‼


文句なしの名作ですし、フリーゲームを探したことがある方なら一度は聞いたことがあるんじゃないでしょうか。
製作者は、はむすたさん。『ざくざくアクターズ』の前にも名作『らんだむダンジョン』を作成されています。


この『ざくざくアクターズ』めちゃくちゃ面白いです!フリーゲームで出されているのが信じられないです。なぜこれだけ面白いのにお金を取らないのか。製作者のはむすたさんはきっと菩薩のような方なんでしょう。




では、ここから具体的な感想を書いていきます。

※ネタばれあります




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「この物語は中身がない! 」
小説なんかでよく聞く批判ですが、この「中身がない」という言葉、私にはどういうことなのかさっぱりわかりません。
まずわからないのが、この言葉を発する人にとって「中身」とは一体なんのことなのか。具体的に言えるんであればそう言えばいいし、そうでなくてももっと言いようがあると思うんです。メッセージ性がないとかストーリーが薄っぺらいとか感動しないとか登場人物に感情移入できないとか………
本人もよくわかっていないんじゃないですかね。ただその人にとってあまり面白くない作品だったけど、何が悪いかわからないから「中身がない」と言って通ぶっているだけで…


この批判、特に村上春樹への批判でよく聞く気がするんですけど、私は村上春樹の作品好きです。特に「ノルウェイの森」は非常に引き込まれましたし、すごく面白かったです。とても「中身がない」とは思えないですね。「中身」が何かは知らないですけど(笑)


そもそも小説に「中身」って必要ですかね……
「中身」が何かはよくわからないですけど、この批判をする人の話を聞いていると。おそらく「中身」があればその作品に深みがでて、ためになるような感じになるみたいですね。
けれでも、私は言いたいんですよ!ためになる本が読みたかったら学術書なり教科書なり読めばいいんじゃないかって!それをわざわざフィクションの小説を読んで中身がないって……最初から批判ありきで読んでるような気がしないでもないわけですよ。


もちろん、明確に「中身」が何かわかっていて、「中身がない」と批判される方もいるでしょう。というよりわかっている方のが多いんでしょう。

ただ、この批判をされる方にわかってもらいたいのが、私のように「中身」というものが何かわかっていない人もたくさんいるということです。
ですので「中身がない」という言葉を使うときには、もう少し分かりやすく噛み砕いて説明いただきたいと切に願います。










*「このブログこそ中身がないだろ!!」という批判は受け付けません





















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こんにちは、管理人のキマグレです。

童話「ウサギとカメ」皆さん知ってますよね。日本に住んでてこのお話をきいたことがないという人は多分いないと思います。

一応あらすじを載せとくとこんな感じです↓

ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑んだ。かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。ウサギは少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めた。その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。



教訓としては、才能があるものでも怠けたりサボったりしていると才能がなくても愚直に頑張っている者に追い抜かされてしまう、といったところでしょうか。

でもね、実際こんな話はあり得ないんです。こんなことを言うと
「いや、そんなことはない!私は才能がなかったけど頑張ったから成功したんだ」なんて人が出てくるかもしれません。
でもね、それは違うんですよ。それはあなたに才能があっただけの話なんです。自分では才能がないと思っていただけの話なんです。

ではここで「才能」とは何か。私の見解を説明しておきたいと思います。


対象となる物を楽しめる(好きになれる)かどうか


この一点に限られています。初めて間もないのに人より上手くできるとか上達するのが人より速いとか、世間一般で言われている才能は私が考える「才能」ではないです。





また私は「努力」と「才能」、どちらが大事かといえば間違いなく「才能」だと思っています。

ただ勘違いしてもらいたくないのが努力が必要ないと言いたいわけではありません。


才能のある人の努力は努力ではないのです


付け加えると
才能のある人の努力は(才能の無い人の)努力ではないのです。
こんな感じです。私の言いたいこと伝わってますかね?

例えば勉強が嫌いな人がする勉強、勉強が好きで好きでたまらない人がする勉強。どちらの方が成績がいいと思いますか。勉強が好きで好きでたまらない方ですよね。

勉強が嫌いなA君は毎日一時間勉強するのも苦痛で苦痛で仕方ないかもしれません。
勉強が好きなB君は毎日八時間勉強してもやり足りないかもしれません。
さらに勉強が嫌いであればどんな勉強をすればより効率がいいか、自分で考えることもしないでしょう。ただ人から教えられたやり方をやるだけです。
一方、勉強好きはどんどん成長したいからどんな方法で勉強すればさらに成長できるか、勉強のやり方も自分で考えるはずです。

致命的なのは、勉強好きは楽しくて勉強をしているのであって勉強に無駄なエネルギーを注ぐことがないんですよ。
勉強が嫌いで勉強するのが辛い方はそこに費やすエネルギーも大きいんですよ
傍目から見ると、長い時間勉強している勉強好きのB君のほうが頑張っているようにみえるんですが、その内部では勉強嫌いのA君のほうが頑張っている(エネルギーを使っている)わけなんですよ。
そして「ウサギとカメ」が現実にはありえないといった最大のポイントがこれなんです!


現実ではウサギ(才能のある人)は休まないんですよ!
カメ(才能の無い人)よりも圧倒的に少ない労力で前進することができるんですから。
むしろ休みたくなるのはカメの方です。苦労して苦労して進んでもその距離は微々たるものになるわけですから。



ここまで書くとカメに救いがないように思われるかもしれませんがそんなことはありません。「ウサギとカメ」においてカメが不味かったのはウサギが提案した勝負をそのまま受けてしまったことです。

知っている方も多いでしょうがカメって水中では速いんですよ。
だからウサギが勝負を吹っかけてきたときに「君は陸の上では速いかもしれないけど水泳では僕に勝つことなんて絶対に無理だよ」とでも言ってやればよかったんです。カメが圧勝しますよ、勝負にすらならないでしょう。

つまり大事なのは自分の才能のある部分で勝負するということです!走るのが苦手でも水泳なら圧勝できるわけですから!




最後にこの記事で私が伝えたかったことをまとめておきます


・才能とは楽しめる(好きになる)ということ
・才能のある人にとって努力は努力でない
・自分の才能のある(勝てる)分野で勝負すること



「天職」がわかる心理学

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